正しさのお話
こんばんは。
めんどくさがりです。
ふと思い出したことがあるので、さくっと書きます。
私は正論を出すことが正解じゃない場面があると思っています。
けれども間違っていることを良しとするわけではなく、
間違えたところ以外にも目を向けて欲しいと思っているのです。
小さい時から私は怒られて育てられました。
わがままを言う、言うことを聞かない、ちゃんと出来ないなどなど。
その度にお兄ちゃんは出来た。という言葉も付け足されていました。
今思えば兄たちも褒められているところをしっかり見たわけではありませんが、怒られているところを見たことはないので、おそらく私だけが怒られていたんだと思います。
たしかに小さい頃にはわがままを言うことってありますよね。
遊園地に行きたい的なやつ。
それに対して
お金ないの!(事実貧乏)
あんたがうるさいから行かない!(わがままを言ってるからだと思う)
などの返答を頂きましたが、正しいけど、子供は納得できなかったんですよ。
そうだけどそうじゃない。
今ならそう思います。
お金がないのは仕方ないけれど、遊びたいと言う気持ちを一緒に解決する方法って全くないのか。
話せばうるさいと思うけれど、全くなにも言わないのが正解なのか。
また、兄と比較された際も、確かに兄達は真面目でちゃんとしてる。
けれど私も出来ているところはあるのに、なぜそこをなにもないかのように扱うのか。
たった少し残っていた私も褒められそうなところでも、めちゃくちゃ褒められそうなところでも、母の物差しの中では兄を超えることはなく全てなかったものになりました。
正しくもあり、間違っている。
そう思っています。
最近友人が伝え方が難しい、と言っていたので思い出しました。
私はそれは言葉の選び方よりも、内容だと思います。
間違ってるだけでは全てが違うように受け止めてしまうけれど、
ここは出来てて、こっちが違って、だから出来てる方みたいにしてみない?的な間違えてないところをあげるだけで間違えていることが少しだけのように受け取れると思うのです。
それ間違えてる。
よりはずっといいと思うんです。
言葉は難しいけれど、出来る限り考えて話したいなって思いました。
まぁこの文章書いてる今も色々訳わからなくなってきてるので、今回はこの辺で。
あと、怒られて育ったからって怒られ慣れてると思わないで下さいね。
むしろトラウマレベルになってるので、人一倍過剰反応してしまいます。
怖いですね。