めんどくさがり、身の丈に合わぬ
どうしても落ち込んでしまい、今のこの気持ちをどうにかしたくてきてしまいました、めんどくさがりです。
日々先の事を考えると不安で、
今していることは会社や家族に迷惑をかけてまでできることなのか、
それでいいと思ってるのかとずっとずっと責められているような不安が頭から離れず
いつも後ろめたい気持ちで過ごしています。
本当になんにも考えていない日もありますが、
気分転換などしているときはより強く感じ、出かけたりしているときは元気に振り切れるのですが、
部屋のドアをあけたり、一人になった瞬間にどっと疲れと、後悔がやってきます。
身体が重たくて、腕も上げられなくて、倒れてしまいそうな感覚です。
それでも死ぬことはないし、いい方向に考えを変えられない、と悪循環で抜けられなくなります。
今がまさにその状態です。
誰かに褒めてほしくて、認めてほしくて、必要とされたいのに、頑張っていないことを自分が一番わかっているのでだれもしてくれない。とかなわないことを望んでしまいます。
普通に過ごしていて、頑張ってる人をみると褒められるべきだと思うし、私も褒められたいと思うのに、頑張れない、何を頑張ればいいのかわからない、頑張っていないと周りにも伝わってしまっているのではないかと思うのです。
普通に、私は普通にしかできないんです。
だから褒められることも、認められることも、必要とされることもないんです。
ただ生きてる、それだけで褒めてくれるようなことが起きてほしいんです。
毎日を無事に過ごした、と認めてほしいんです。
だから私に会いたい、私が必要だと、思われたいんです。
叶わぬことだとはわかっているのですが、
これがいつまでたっても消えないのです。
ただ、すごいね、えらいね、がんばったね。
そんなささいな言葉でいいんです。私の人生には縁遠い言葉をくれるなんてことがあればもう少しましな大人になれたかな、と思います。
両親の育て方ではなく、私の人格が根本的にまっすぐ育つことなく普通を装ってここまできてしまった、そんな感じだと思います。
実際両親は兄たちのようにしっかりとした子育てを成功させており、その方法は間違えてはいなかったと思います。
私はちがったようですが。
そんなひねくれた私でも、もし、しぬことがあれば、泣いてくれる人がいるでしょうか。
ショックをうけて一時的に落ち込んでくれるぐらいの人はいるかもしれませんが、
命日やお盆に思い出して、懐かしんでくれるような人はいるのでしょうか。
そこまで私の事を想ってくれる人はいないと思っています。
その事実も辛いですが、死んだりしたらいやだよ、やめてよ
と必死になって止めてくれる人はいないでしょう。
なら、母の病気は私がなればよかったし、そうすれば家族は誰も苦しまず、
会社にも迷惑をかけず、私は後ろめたい気持ちがない状態で最期を待てると思うのです。
母にはなんとしても元気になってもらわねばなりません。
まともで頑張って生きてきた兄たちが悲しむからです。
ずっと寄り添ってきた父が悲しむからです。
わざわざ引っ越したせいで離ればなれになってしまった友人達が悲しむからです。
ならば
私にせめてもの出来ることは
誰にも迷惑をかけない存在になること。
それだけなのではないかな、と思います。
私の消えたい、という気持ちはこんなことなのかな、と今文章にしてみて
分析出来た気がします。
誰かに必要とされたい、
だけれども誰かの迷惑になりたくない。
そんな矛盾した願いは叶うことがあるのでしょうか?
難しそうです。
では、また。