とりあえずおめでとうございます。
成人式があったようですね。
どうも、めんどくさがりです。
新成人の皆さん、程よく生きてください。
人生はほとんどの人がハードモード。
程よくじゃないと長く保ちません。
さて、成人式で思い出したのは自分の時のことです。
自分の時のことと言いながらも結論からいうとなにひとつやっていません。
振袖も、成人式出席も、なにもかも。
なぜかというと、
母親のお金ない。という発言からでした。
当時実家を出て大学へ通っていた私は成人式で久々に中学高校の友人に会えるかも、と参加するつもりでした。
振袖だって着て、あのもふもふのやつつけて、みんなで写真撮りたい!と一般的な女子の一部と同じようにわくわくしていました。
とはいえ仕立てるほどではないためレンタルでないかな、親戚のやつ借りていこうかな、なんて思っていたところへの母親の
お金ない。
小さい頃から、物心ついたときから聞かされ続けた言葉です。
レンタルするほどのお金がない。
親戚から借りたとしてもそれをクリーニングして返すお金がない。
着付けをしてもらうだけのお金がない。
そんなたくさんの意味を持った言葉です。
でも、私はそれだけじゃないと思います。
兄たちはスーツで、スーツは選ぶのも難しくない、その後も使える。
でも振袖はその時ぐらいで、ほぼ記念用にしか着ないから、必要ないということだったんだと思います。
必要性の感じないものに出すお金も、私にかけるお金もないということです。
高い振袖をねだったわけでも、なんでもないのに、お金がないから無理。
と言い切られたところで私の成人式はなに一つ形になることなく消え去りました。
小さい頃から誕生日だって、クリスマスだって、ひなまつりだって、お正月だって、テレビで見かけるようなイベントは私にはありませんでした。
だから今更成人式で振袖が着れなくなったこと、成人式に参加できなかったこと、そのイベントごと消えたって何にも変わらないと思ったのに、
たくさんの振袖を着て着飾った新成人の皆さんをみると胸が苦しくなります。
たった一言、成人おめでとうや、お誕生日おめでとう。
そうやって私の存在を肯定する言葉が有ればまた違ったのかもしれません。
家族への感謝はあれど、それ以上に家族からされた辛いことばかりが浮かぶような人生を歩まぬよう、程よくみなさん生きてください。
では、また。