あるかわからない日について考える
どうも、こんばんは。
めんどくさがりです。
変わりもせずうつ病の症状とともに生きています。
このご時世ですのでが、家にいることはいままで通りですので問題なく過ごしていました。
ただ、自分がかかったら、家族がかかっていたら、など不安面はすごく負担となりひと月ほど悪い状態でした。
今回のような場合はどんな方でもストレスとなり、不安が残ると思います。
いつも以上に医療関係の方、販売職の方などたくさんの人に頭が上がりません。
本当にありがとうございます。
そしておうちで自粛している皆さんも大変な状況下で自分と家族と周りの感染リスクを避ける行動をとっているのは素晴らしいと思います。
少しでも早く落ち着くのを願うしかありませんが、日々ニュースを見ては願っています。
さて、昨今のお話が今回のあるかわからない日ではなく、私自身のあるかわからない日について今回は書こうと思います。
それは私が誰かと生活していく日ということです。
それが結婚なのか、同居なのかわかりませんが自分以外の人と過ごすような日が来るのかどうかとぼんやり浮かんできたときに
自分のうつ病がどんな風に影響するのかを考えてみたんです。
今現在私は服薬と通院しており、働くことは未だ出来ず昼夜逆転しないよう生活を作っている最中です。
やっと朝起きてカーテンを開けて今日はいい天気だな、と思ってパンを食べる。
そんな流れが続けられる日が増えてきました。
何種類もの薬を飲み、調子が悪いときにはさらに頓服薬をのみやっと生きているという状況で、私はうつ病というものと一生付き合っていくのだと思ってますし、服薬もおそらく一生続くと思っています。
うつ病は寛解という症状が出なくなる状態が理想ですが、簡単なことではなく時間をかけても無理せずに治療を続けて出来るかどうかです。
なので私は一生うつ病だろうし、服薬もしていくと思って治療しています。
それを共に過ごす人に伝えるにはどうすれば良いのか。
実の家族ですら全てを説明できてないのに、もともとどんな人間でどんな症状が出てどう対応してるのかを伝えるのは難しいのかと思います。
急に不調が出たり、希死念慮が出たりと自分でも対応しきれない症状を他の人がみたらどんな風に思うのか。
それを考えだすとマイナス面しか浮かんでこないのです。
不調が出て動けない人間に対して、だらけてるやサボってると見えるのはよくわかります。
好きなことはやってると思う場合もあると思います。
不調で動けないことが周りにとってはみてるだけでストレスになるのではないかと思うと誰かの邪魔をしないで一人で過ごしている方が良いのではないか、といつも結論付けてしまうのです。
人から甘えてると思われてる、と自分でも思う時があります。というかよく思います。
一生付き合っていくであろううつ病と、その症状を抑える服薬と、いつでるかわかりきってない不調と、凝り固まった自己批判を抱えた私は誰かと過ごすことがいつかは出来るのでしょうか。
これ以上誰かに迷惑をかけてまで生きたいかと考えてしまうので、大変難しいと思います。
それでもいつか寛解したら、症状が軽くなったら、不調のタイミングをうまくつかんでコントロールできるようになったら、誰かに引け目を感じて生きる生き方でなくなったら、ともしも話としてぼんやり考えてしまうのです。
あるかわからない日がきたらそれはそれで大変そうですね…
今回も考えながら打ち込んでいるので、ごちゃごちゃした文章となってしまいましたが、どこかでこんな風に考えている人もいるのだと一瞬でも思って頂ければ幸いです。
では、また気が向いたら書きます。
それまでどうかお元気で。