めんどくさがりだと思ってたらうつになった

ただのおたくOL(だった)にーとが記録のために何日かに一回更新したい(希望)

少し困った話

 

こんばんは、めんどくさがりです。

 

最近の気温の変化についていけずさらにまた自律神経が乱れているんだろうな、とひと事のように思いながら手足は冷えながら汗をかいています。

 

 

さて、今回のお話なのですが少々言葉選びが難しいので不快に思う方がいたら申し訳ないと先にお伝えしておきます。

 

 

 

うつ病の症状の中には希死念慮という死にたいという考えに頭がとらわれてしまう困ったものがあります。

不安なども付き纏う闘病中は些細なことでも浮かんでしまうことが多く、症状だとわかっているのに自分で止めることのできないものです。

 

ですが私にはうつ病を発症する前からずっと思っていたことがあります。

 

それは家族の中で誰よりも先に死にたい、ということです。

それは今すぐということではなく、これから先の時間の中であるであろう未来の話です。

両親や兄弟の方が長く生きているので人生の残り時間が減っているかもしれません。

私にはもしその時が来たときに受け入れられる自信がありません。

 

 

死というのは避けられませんし、予測もできません。

ですが私が幼い頃からずっと恐怖を覚えていたものが死ぬことです。

自分が死ぬことよりも周りの誰かが死ぬことに対してひどく怖いと思ってしまいます。

 

仲良くしてくれていた近所のおばあちゃんが亡くなったときも、会ったこともなかった遠い遠い親戚の人が亡くなったときも、テレビで見ていた芸能人が亡くなってしまったときも、流行り病や事故で名も知らぬ誰かが亡くなっているニュースを見たときも、心のどこかに言葉にできない不安のような恐怖のような気持ちが生まれます。

 

父が大きな病気にかかったときも、母が手術したときも、兄が事故に巻き込まれたときも、周りは大丈夫助かる生きていられると言ってもその連絡を受けた時からずっと心をぎゅっと不安や恐怖が締め付けて離れません。

 

 

会えなくなること、話せなくなることが寂しいとかではなく、誰かがいなくなることに対しての恐怖が強いのではないかと思います。

 

 

だから小さい時から家族の誰かの死と出会ってしまうくらいなら自分が先に消えた方がよっぽどマシだと思うようになりました。

 

 

さらにうつ病にかかったことでより恐怖や不安に打たれ弱くなってしまいました。

 

今身近な誰かが倒れようものならうつ病でばらばらと壊れた私の心はより粉々に砕け、元に戻すことは不可能になると思っています。

 

正気でいられる自信がないのです。

 

 

昨今の感染症を考えるといつ誰がかかったりしてもおかしくない。

私一人だから買い出しも一人で行くし部屋から出られない日々だから問題はないけれど、立派に働き、家事をして生きている家族や友人は私の何倍もの感染リスクであろう。

感染してしまったらどうしよう。

また、私が実家にて家族と会うことでクラスターとなってしまったらどうしよう、

それで誰かが発症して苦しんでしまったらどうしよう、

最悪のケースが起きてしまったらどうしよう。

 

そう次々と浮かんでしまい実家に立ち寄ることも出来ずにいました。

 

不安症としてのどうしようではなく事実として起きてしまった場合私は自分を一生責め続けますし耐えきれず死のうとするでしょう。

 

 

 

 

 

 

そんなどうしようとか不安とか恐怖に飲み込まれるぐらいなら、自分が先に。

 

 

そう思ってしまうのです。

 

 

 

けれども幸いなことに家族も未だ感染した人はいないようで不安はかかるかもしれないの段階の不安ですが、

不安が悪化する可能性はまだまだあります。世界レベルでの問題なのですぐには不安を減らすことは出来ないでしょう。

けれども今のところ身近で苦しんでる人はいないことが私の不安をほんの少しだけ軽くしてくれています。

 

 

 

だからどうかこれからも無事で生きていてください。

家族も友人も名も知らぬ沢山の方々も。

 

 

 

 

またまとめきれなかった感じが残ってしまいましたが、言いたかったことは大体言えたかな、と思っています。

 

本当に、どうかみなさん無事で。

 

では、また。

たくさんの不安を蹴散らして気が向いたら書きます。