めんどくさがり、考える
どうも、めんどくさがりです
昨日ブログを更新した後、友人と連絡を取り合って話をしていた途端、
消えたくなり、涙が出てきました。
うつ病になってから原因もわからず泣きながらただただ消えたいと思ったことは初めてでした。
その後このままではまずいと思い、まずは笑おう、声を出して笑おうとしたのですが、
へへへへ、と笑ってみても涙がでました。
様々なことに対して謝罪の気持ちでいっぱいになり、
居たたまれなくなり、
消えたい。
そんな気持ちでした。
しかし夜別の友人と通話する予定があったので、私は今は話せる状態ではないことを伝えると
明日にしようか?と提案してくれたのですが、
今一人で何もない状況を続ける方が辛いので私はチャットで、友人には通話で連絡を取らせて頂くことにしました。
おかげですっかり落ち着き、笑えるようにまでなりました。
あのまま夜中まで何も出来ず、呆然としていたと思うと怖くてたまりません。
私がブログを始めたのは
もし自分と似たようなことがあった人にはうつ病になってほしくないので体験談として形に残したかったこと
自分が生きていると報告したかったこと
そして一番の理由は
誰でもない誰かに話したかったということです。
昨日の通話中も思っていたのですが友人には多大な迷惑をかけ、ツイッターではいくつかあたたかい言葉を頂き、また別の友人たちは前回にも記載しましたが、うちにおいでと気にかけてくれています。
でも、不安や消えたい気持ちや悲しいという思いもながら、自分の見た本当にささやかなことを思ったときに誰かに聞いてほしいと思うのです。
小さいとき幼稚園や小学校から帰ると母が
「今日は何してきたの?」
と聞いてくれて本当にささいなことをたくさん報告していました。
いつしか聞かれなくなり、ついには
「うるさい、今少しぐらい静かにできないの?」
と言われることの方が増えていきました。
大人になった今では、母だって人間ですので体調の良し悪し、疲れていたこともあったでしょう。
子供の私は母は私の生活に興味がないんだ、と傷ついたことを覚えています。
実際兄と比べられることが多く、何をしても兄はちゃんとできてた、言わなくても出来た、約束を守れるなど
母は私ではなく兄のことしか見えていないんだな、と思ったことを覚えています。
今でも私は劣等感の塊ですので、そのころから形成されていたのでしょう。
そして私は些細なことを誰かに聞いてもらうという行為が恐ろしくなりました。
実生活では話の流れで言えるものの、ご飯がおいしかったとか、このお店が楽しかったとか、そんな些細な事でいいのです。誰かに聞いてほしいのです。
ツイッターはその点呟き、独り言としては最適で良いことはなるべくそちらで話すようにしています。
しかし何度も同じような、内容も深くないことを呟いても邪魔ではないか、とか
かまってちゃんと思われることが怖く、
このブログで話すことにしました。
うつ病の対策や傾向など大事なことは何もお伝え出来ませんが、
何もしないという課題を試行錯誤しながら行っている私をみて
皆さんも少し休めれば良いなぁ、と思います。
友人達にはそれぞれ順番に昨日はこの人にお話してしまったから今日はあの人にお話聞いてもらおう、とも思いましたが、母のことを思い出し、
負担にはならぬようにしたいと思います。
迷惑をかけない
これが目標だったはずの私はうまく立ち回ることが出来ないようです。
些細な事もこれからどんどん書いていきたいと思います。
さっき初めてお散歩した道で見つけたお店に入ってみたら、
食べ物やさんで、何も買わずにでるのもまずい思い、
晩御飯用のお惣菜を買ったら店員のお姉さんがおまけしてくれて
幸せな気持ちで帰ってきました。
日々こんな些細な事を嬉しく思っています。
なのでまた書きます。
では、また。