めんどくさがりだと思ってたらうつになった

ただのおたくOL(だった)にーとが記録のために何日かに一回更新したい(希望)

めんどくさがり、切り離せぬ【閲覧注意】

 

どうも、どうしても眠れず、泣きながらここへ戻ってきためんどくさがりです。

 

最初は寝る準備もして、日付が変わる前に快適な温度、寝具、ゆったりとした音楽を流し眠る努力をしていたのですが、

一時間たっても眠れず、なぜ眠れないのかイライラしてきました。

 

他のみんなは楽しそうにツイッターで盛り上がっててもあと10分もしたら眠れて、

朝7時には目を覚ますことができるのでしょう?

 

なのになぜ私は幾つもの薬を飲んで、環境を整えて、それでも何時間も眠れなくて、

崩したくて崩したわけじゃない生活リズムがどんどんおかしくなって、

泣き叫びたいと思いました。

なぜ私だけ、なぜうまくいかない

 

もういっそ死んだら良いのではないかというところまできました。

実際は小心者なのでなにも出来ませんが。

 

もし私が死ぬなら家族へ手紙を書こうと思っていました。

実際に手紙にかくとそれをどうしたら良いのかわからないのでここに

ある程度省いた内容を書かせてください。身バレしそうなぐらい具体的になってしまいましたが。

 

【結構ひどい事書いてます。遺書の代わりに最後の最後にすべてをさらすという気持ちでの内容になりますので、閲覧注意・胸糞注意です。かなり歪んでます】

 

家族の皆様

お父さん

いつもお仕事たくさんがばってくれていましたね。でも私の学校でのことには興味なく、私を置いて母と二人でパチンコに行ってしまう休日ばかりでしたね。

小学生ぐらいのときはさすがに家に一人はまずいと思ったのかパチンコ中ずっと車の中でゲームをして過ごす時間ばかりでした。何時に終わるかもわからない時間は今思うと常人の考えではなかったと思います。

お父さんが働いてくれたおかげで私は成人し、正規ではない形で働くことになりました。がっかりしたでしょうね。貴方の老後のお世話ができる人間が収入に余裕がなくうつ病にかかっているんですもの。さぞ残念でしょう。

母親に言われてそのことを怒りに来るような私への無関心さ、大嫌いでした。

 

お母さん

4人兄弟を無事成人まで育て上げ、夫の入院や祖母の世話などよく働いていましたね。

でも貴女の口癖を知っていますか?

「お金ないんだから」

「お兄ちゃんはそんなわがまま言わなかった」

「お兄ちゃんたちはもっとすごい偉いんだから」

「女の子なんだからこれぐらい手伝いなさい」

「なんで言ったことができないの!お兄ちゃんたちは言わなくてもちゃんとできてるでしょう」

貴女の中の子供は兄たちだけで私は奴隷かなにかだったでしょうか?

貴女のこの言動のおかげで私は褒められることも認められることもなく

大人になりました。他人と比較され続け、常に劣等感にまとわりつかれ、

自分自身のすべてがコンプレックスとなった私を育て上げたのは貴女です。

さぞ愛しい息子たちに囲まれて苦しまない生活を送ってください。

私はこれからも劣等感を忘れられずに生きていきます。

 

お兄ちゃん

1番上の兄は本当に1番で頭もよくて、スポーツも出来て、無口で、友人も多く、先生方からの信頼も厚いとっても素晴らしい人間ですね。就職もほぼ内定出てた状態での試験で楽々と仕事を決めていきましたね。貴方は自分がきちんと通りに沿ってやっている自覚があるからいつでも正論をぶつけてきます。私のためを思っての正論なのでしょう。正論は正しくても優しくはないのですよ。あと可愛いのは弟たちだけで、あからさまに態度が違うところも大嫌いでした。高校3年間母親に言われたから、通学のお手伝いしてくれたことの感謝は忘れません。けれども何度も私が乗っていることを忘れ、会社に向かおうとし、途中で気付いて舌打ちしていたことも忘れません。

 

2番目の兄は小さいときから私をいじめてからかって遊んでいて泣いても母は無視しなさい、と私をなだめるばかり。世渡りが上手で人付き合いの良い兄らしいです。貴方が宿題の面倒を見てくれると言ったのでお願いしたときの罵詈雑言は一生のトラウマです。貴方は私にいくつものトラウマを与えてくれましたね。そんなあなたは世渡り上手を活かして友人、奥さん、奥さんのご両親、親戚一同、そして家族皆から愛されているでしょう。私は記憶のある最初のころから大嫌いでした。貴方も弟が可愛くて仕方ないので弟には何でも買ってあげるし、連れてってあげるし、時間があれば会いに来るし、今でも可愛い弟なのでしょうね。私には一つもあったことはありませんが。どうか向こうのおうちで幸せになってください。

 

3番目の兄は末っ子のように育てられ、貴方が高校卒業したと同時に母は育児終了といった感じでした。スポーツの大会のため応援に行ったり、道具を買いにいったり、貴方が集中して取り組んでいたから家族みんな応援していたんだと思います。皆から愛される末っ子として。仕事のストレスで体を壊したとき両親や兄たちは慌てて貴方のもとへ駆けつけました。まだ高校生だった私1人をおいて。私の唯一の好きな家族であり、

私を見下さない家族でもあります。でも自分も就活で苦労したのはもう何年も前だからでしょうか、うつ病になった私に会社やめてしまえばいい。といったことだけは深く心に刺さっています。就活で精神はぼろぼろになり、やっとバイトから派遣になって続けられる仕事だ、いつかは正社員になりたいから就活のことは考えなきゃと思っていたあたりでうつ病にかかり、お医者様からもそのことはもっと落ち着いてから考えるようにしなさい。と自分でも触れられないところへずけずけ踏み込んできて正論かのようにいうところは1番上の兄とそっくりです。そこは嫌いです。

 

お祖母ちゃん

少し前に亡くなってしまったけれど、私は貴女にずっと言いたかったことがあります。

「大学なんていいから帰ってこい」

という言葉だけは許せませんでした。

小さい時からお祖母ちゃんに会いに行くことが大好きで、でもお正月のように親戚が集まると他のいとこたちがお祖母ちゃんの周りでわいわいしていて話に行くこともできず、遠くから眺めて帰る一人で本を読んで帰るばかりでした。

そんなお祖母ちゃんがみんながいるのに私を呼んで、なにかと思えば

「さっさと帰ってこい、こっちでも大学も仕事もある」

と厳しくなりましたね。

他のいとこたちにはそんなこと言わないのになぜ私だけそんな怒られなければならなかったのでしょうか。それ以来お祖母ちゃんのおうちに顔を出すといわれるのでいつしか行けなくなりました。

「辛いことがあればすぐ帰っておいで」とか

「向こうで頑張るって決めたんだったら大学4年はがんばりなさい」とか

背中を押してくれると思っていたのに、きつい事ばかり、会いに行けなくなってしまったこと、今でも後悔しています。大好きだけど、お祖母ちゃんは私の事すきでしたか?

 

最後に私、何の努力もせず、過去の楽しかった時期にすがり、今の自分のすべきことは見えず、未来のための行動も考えることが出来ない私はからっぽです。なんの価値もありません。歪んだ性格を家族のせいにし、自分が立場が悪くなると相手の言い方が良くないと逃げ出し、だれよりも自分を信じてあげられていないのは私です。

友人たちに嫉妬するのも、自分が出来ないことにイラつくのも、誰も助けてくれないことに絶望するのも、全ての原因は私にあるのですよ。

何も努力せず、頑張ったことも、自分で大きな決断もしたこともないくせに

精神が追い詰められてうつ病にかかってしまうというのがなによりも私の人生の中で

笑える話でしょう。

私がここまで生きてきた意味はなんですか?

 

 

 

 

以上です。遺書とはならないでしょうが、もし私が本当に死を考えてしまうほどもう鬱から戻れなくなってしまったらこれを残そうと思います。

病みポエムのようですが、本当に告発文のようなものとしたかったのです。

これで苦しむような家族かどうかはわかりませんが。

 

 

とりあえず嫌いなところをずらーーーーっと書き連ねて少し落ち着きました。

眠れそうにはありませんが、

辛くて苦しくて悔しくて泣くこともないかと思います。

 

今日は病院の日なので忘れないようにしないと。

 

では、また。必ず、また。